様々な人間との色々な会話

在りし日の僕と僕以外の誰かの会話

思う事が在り、丁度、ゴールデンウィーク付近の時期に様々な人間と会う機会が在り色々な話を行なったので抜粋してみる。

「何と言うのかな。君は悪くない。性格も性質も性能も悪くない。全然悪くないのだけれど社会、というか世間に対して斜に構えていて、余りに斜めに構えていて、何だか勿体無いよ。損をしていると思う。世間を皮肉り嘲っている姿勢は好意的に受け止められる事が少ないだろうからね。勿論、僕は君が嫌いではないし、恥ずかしい事を承知で言えば僕は君が好きだ。君の姿勢が世間に好意的に受け止められなくても僕には関係無いからね。それでも好きな人間が損をしている姿は愉快なものではないからこその話なのだけれど、さて、今の僕の話を聴いて君は如何に思うのだろうね。余計なお節介とでも思うのかな。確かにお節介以外の何物でもないと僕も思うよ。けれど、お節介を働いてしまう僕の心根も多少なりで良いから察してほしいものだね。僕がお節介を焼く、それは言い換えれば、君が僕にお節介を働かせているという事でもある。君が君であるが故に僕は世話を焼いてしまうのだから。君が君でなかったら、そこまでではなくとも多少なりとも今と違えば僕も此処まではお節介を働こうとは思わない。だからと言って君一人に責任を押し付けるつもりはない。この場合、原因は君に在り結果を僕が出すという形だからね。まぁ言ってしまえば僕等は共犯者という事かな。勿論、罪を犯すわけではない。そうだね、罪ではなく互いの領域とでも言うべき意識範囲かな。僕は君に働き掛けるし君は僕に働き掛ける。僕は君に働き掛けられるし君は僕に働き掛けられる。それが悪い事なのか良い事なのか僕には分からない。分からないけれど居心地は悪くないし、気分は良い。ふふ、基本的に他人に干渉される事を嫌う僕らしくないと思うだろう?僕もそう思う。一種、不思議ですらある。しかし、理由が全く分からないでもない。断言出きる事なんて何一つ無いという事実を前提と認識しているけれど、それでも敢えて予測でも憶測でも推測でも推定でもなく絶対の自信を持って断言しよう。僕は君に好意を持っているんだよ。それしかない。でなければ逆に不快感を抱かない理由が無いからね。これが根拠でもある。他人に対して不快感を抱かない理由としては、相手とその相手に端を発する全ての事が心底どうでもよい場合、相手が全く自分に関わらない場合、くらいしかないからね。断言出来る事なんて何一つ無いという事実は変化に由来する。今更こんな事を君に話すのは君を侮っているわけではなく確認という事だから誤解しないでほしいのだけれど、時間の経過に因る変化は万物に訪れるし例外は無い。それでも僕が君に好意を持っていると断言したのは君が君で在るが故で僕が僕で在るが故に他ならない。勿論、僕や君が変化の対象として例外という事ではなく、変化という条件を前提として含有しても、という事だよ。或る種、盲目的と言っても良いかもしれない。恋は盲目とは良く言ったものだね。この場合、残念ながら恋ではないけれど。盲信とも言えるかもしれない。けれど、そもそも信じるという行為自体が盲目的だよね。さておき、僕は君を信じている。期待している、ではなく信じている。君の本質と人格を。それも好きだからだろうと思う。君の言葉ではないけれど信じるという事は信じられるではなく信じたいだからね。僕の意思に因るものだろうね。だから、だからこそ君には損をしてほしくない。損が幸福だとはとてもではないけれど僕には思えないからね」
「言いたい事は分かったよ。でも、その前に一つ良いかな」
「一つなんて言わずに幾つでも良いさ。遠慮なんか僕等の間には必要無いのだから」
「いや、一つで良いよ」
「何だい?」
「話し過ぎ」

これも一つの話。