並んで揃って従い跪け

人間は他の人間に従属され他の人間に従属し、他の人間を隷属させ他の人間に隷属させられ、という関係を意識的にか無意識的にか望むものなのだろうか。
公平なんて存在せず平等なんて介在せず均衡なんて介入しない関係。五分五分ではない対等ではない関係。それが人間の基本的な関係構築というものに対する願望なのだろうか。
ここで言う関係構築とは人間同士でどのような関係を構築するかという事の場合で年齢性別人種国籍文化文明言語境遇貧富清濁評価評判は関係無い。それ等が人間の意識無意識を構成する一部分だとしても。それ等は一部分でしかない。勿論、全体を構成する一部分ではあるので無視は不可能だし無視すべきではないけれど。
不公平不平等不均衡を望むのが人間なのだろうか。
損をしない側に、あわよくば得する側に、益を減らさない側に、あわよくば益を増やす側に、と思うものなのだろうか。ならば資本主義がシステムとして優れているか劣っているかは別にして、人間は意識的、もしくは無意識的に不公平不平等不均衡を望むものであり、故にそこから資本主義が発生した、という仮説も構築出来そうではある。そして資本主義の台頭により不公平不平等不均衡を望む意識は加速した。などと繋げられそうでもある。
無意識的には知らないけれど少なくとも意識的には僕は公平や平等というものが存在しないと思っている。それは机上の空論、砂上の楼閣。或る意味では理想。けれど現実よりも醜悪な理想など腐る程に存在する。対等。それもまた理想なのかもしれないけれど、現実よりも醜悪かどうかは知らない。


奢ったり奢られたりが嫌いな理由を考えただけで何故こんな話になるのだろう。