螺旋階段の底

何時の間にか土曜日も日曜日も過ぎて月曜日。
必要性は皆無だけれど敢えて喩えるならば、小学生時代の夏休みのよう。実際には小学生時分の記憶なぞ殆んど残っていないから適当過ぎるくらいに適当な言葉。誰か僕に記憶を。
と言いつつ僕は過去を思い出すという作業を行なわない為、記憶を思い出しても再び忘れる事だろう。
小説などで記憶を無くした人間には自分の記憶を取り戻そうとする性格が多いけれど、中には記憶が無くても良いというような性格の人間が居ても良いと思う。知らなくて良い事は知らなくて良い。しかし知らなくて良いという判断は知らなければ行なえない。人間は知るべきか知らざるべきか。
好奇心は人間の生活を発展させてきた。しかし必ずしも発展が良い事だけだったわけではない。良い事は悪い事。良い事が在るからこそ悪い事が在る。判断次第で良くも悪くも。大体、生活が発展しても人間は発展していない。
そもそも人間は発展するのだろうか。欠片でも発展の可能性を秘めた生物なのだろうか。僕は知らない。知らなくとも良いと思う。知らなくとも現在、困っていないのだから。という事を考えるのは実は困っているからではなかろうか。という堂々巡り。