非生産的な生産者

昨日は疲れていたのか睡眠時間が足りなかったのか、それとも気分だったのかは知らないけれど普段よりも圧倒的に早く眠った。テレビ放映時間で言うと(言う必要は無いけれど)各局がこぞってドラマを放映するよりも早く。
こんな事は僕以外にはどうでも良い事だろう。
それなのに今日の起床は遅かった。24歳の平日の睡眠時間としては常軌を逸しているのではなかろうか。それだけに体調は悪くなかったし今の時刻でも起きていられる。
こんな事も僕以外にはどうでも良い事だろう。
体調も悪くないのだから続けば良いと思うのだけれど今の時刻まで起きている時点で続けようという意思は感じられないし、起きていて何かしたのかと問われれば返事に窮する。起きているだけで何もしていない。正確には音楽を聴きながら無為に時間の経過を眺めているだけで何一つ生産していない。
こんな事も僕以外にはどうでも良い事だろう。
社会に属するというのは生産者で在り、同時に消費者で在るという事なのかもしれない。生きている限りは何かしら消費し続けているのだろうけれど、さて、では僕は何を生産しているのか。考えてみると僕は様々な意味での負債しか生産していない気がする。これは果たして生産していると言えるのだろうか。仮に言えるとしても負債のみならば社会にとっては存在しない方が良いのではなかろうか。それとも負債のみを生産するような人間も社会は必要としているのだろうか。
こんな事も僕以外にはどうでも良い事だろう。


思えば僕以外にとっても意義の在る事を記した記憶が無い。記憶に無いだけで記した事が在るのかもしれないけれど覚えていないので僕にとっては記していないのとほぼ同義。僕は此処に記す意味と必要が在るのだろうか。
とも思うがそもそも僕自身が負債なので気にしない。