決定しない

僕の見ているサイトでオフ会のような催し事が行なわれるらしくて行ってみたいと思っているのだけれど開催日が日曜日という事で参加を躊躇っている。しかも僕の住んでいる地域から遠い名古屋(だったと思う)。次の日の事を考えると行きは兎も角として帰りの交通手段に新幹線を選択しなければならない事は明白。必要だと思う事にならばお金を使用する事に躊躇したりしないのだけれど必要だと思い込む事は達成不可能な難易度で完璧に無駄遣いの領域での使用となる。しかし見たい(会いたい、では≠)。
では無駄遣いの領域に余裕が在るのかと考えればはっきり言って無い。季節が季節なので新しいスーツが欲しいし季節は関係無いけれどスーツに合わせた靴も欲しい。僕は腕時計を持っていないので腕時計も欲しい。腕時計は携帯電話を持っているから即座にというわけではないけれど遅いよりは早い方が良い。しかし見たい(話したい、では≠)。
無駄遣いの領域には余裕が無いので何処かの領域を縮小する事になる。真っ先に縮小されるだろう領域は食費なのだけれど只でさえ夏の暑さで落ちた体重が更に落ちるのは健康上好ましいとは到底思えない。次の領域は本やCDなどの雑貨だが雑貨の領域を縮小すると僕のストレス解消手段が睡眠と忘却だけとなるのでやはり好ましくない。次の次の領域は服飾関係だけれど正直言って領域という程の範囲が無い。或る程度の量を維持している限りは大して必要としておらず元々の範囲が狭い為に縮小したら無くなる。他の領域は縮小出来ないものだけ。しかし見たい(見たい、以外では≠)。
細かく時間と金額を調べてから答を出しても遅くはないのかもしれない。けれど「行なう」と自身で決定した事ならば幾らでも調べるのだけれど、調べてから決定するという事は無いような気がする。「行なう」と決定したわけでもないのに調べるのは面倒過ぎる。