まとまっていない

人間や人生を何かに喩える場合が在る。それは料理だったり音楽だったり絵画だったり。人によって違うけれど喩える内容は喩える人間にとって近しいものなのだろうと思う。料理に喩える人間は料理に縁が在るのだろうし音楽に喩える人間は音楽に縁が在るのだろうし絵画に喩える人間は絵画に縁が在るのだろう、と。
友人や知人が言うには飽きっぽいらしい僕は喩える内容がその時の気分や感情によって変わる。僕には専門分野や得意分野と呼べるようなものが無い故なのかもしれないし過去に喩えた事を覚えてなくてその時その時に思い付くまま喩えているからかもしれない。今ならば色に喩えるのだろう。最近に読んだ本や部屋の整理をしていて色鉛筆を発見したせいかもしれない。
個々人にはそれぞれ明るいや暗い色、暖かい色や涼しい色など固有の色彩が在り、それは他者や物語などの外的要因との関わりの中でだったり自分自身の思考や嗜好などの内的要因だったりするもので変化し常に同じなのではない。
そして二人以上の人間が居ればお互いの色が混ざり合い新しい色彩を生み出す。その新しい色彩はお互いに影響しそれぞれの色彩に変化を与えるかもしれない。


「混ざり合い」と記した時、禿げ上がった中年の男性同士が向かい合って座りながら談笑している空間で妙なオーラ(のようなもの)が混ざり合っている図を想像してしまい気分が悪くなったのでここで終わり。尻切れ蜻蛉になってしまったけれど止む無し。