断ち切れない

後悔している事が在る。思い出せないくらいに多くの後悔。後悔を伴なわない記憶など只の一つとして無いのではなかろうか。
その中でも比較的ではあるが後悔の程度も軽く思い出しても大して問題ではない記憶が在る。
今から5、6年程の昔。適当に街中を歩き本やCDを買っていた日。何気なく入った服屋で一つのパーカーを見つけた。このパーカー、生地を二重に重ねられていて内側は桃色の生地に英語のロゴが記してあり外側は白く薄い生地でところどころが破けていた。店員が言うには洗ったり着たりしている内に外側の生地が少しずつ劣化し破けて持ち主独特の味が出るというような事だった。
特別に何かが在ったわけではないけれど僕はその服に惹かれた。しかし当時の僕にはとても高くて簡単に手が出せるような価格ではなかった。多少の無理をすれば手が出ない事はないけれど無理をする価値が在るのだろうか分からなかった。パーカー一着の価格にしては高過ぎると思った。結局、僕はその服を買わなかった。
買っていたら買っていたで後悔していたかもしれない。後悔しないまでも少しして飽きてしまったかもしれない。部屋でしか着ないような扱いをするようになったかもしれない。僕が選ばなかった選択肢の結果は僕には分からない。けれど僕が選んだ選択肢で僕は後悔した。多少の無理をしてでも買えば良かったと思った。
という事で僕は余程の事が無い限りにおいては欲しい物は買うようにしている。買って失敗したと思った物も在るけれど買わないで後悔したパーカーよりは気分がはるかに楽。買って失敗したと思った物の事は引きずったりしないけれど買わないで後悔したパーカーの事は未だに引きずっている。他の後悔と比較すれば軽くだけれど。