結局、答は出ていないし

数日前にも記したが僕のテンションは高くない。高くはないが、では明るいのだろうか暗いのだろうか。安直な想像としてテンションが高い人間は明るくテンションが低い人間は暗いと認識されているそうだけれど事実はどうなのだろう。
結論からすれば僕の勝手な想像ではあるけれど恐らく関係無い。
明るいか暗いかとは性格の事である。どのような性格が明るいとされており、どのような性格が暗いとされているか。明るい性格とは楽観主義に近しく暗い性格とは悲観主義に近しい。表面的にどちらかなのかが主に関わる。根本的に楽観主義だろうと表面的に悲観主義ならば暗いと認識されるだろうし根本的に悲観主義だろうと表面的に楽観主義ならば明るいと認識される。そして楽観主義→明るい→テンションが高い、もしくは悲観主義→暗い→テンションが低い、というように認識されているのだろう。楽観主義の人間は積極的であるとか悲観主義の人間は消極的という思い込みも関係しているのだろう。
けれど楽観主義でも例えば用心深い人間や騒がしい事が嫌いというような人間ならば必ずしもテンションが高いという事はないだろうし、悲観主義でも例えば既に様々な物事を諦めた人間や騒がしい事が好きな人間ならば必ずしもテンションが低いという事はないだろう。
明るい人間はテンションが高く暗い人間はテンションが低いという共通認識のようなものが世間には存在しているようだけれども必ずしも断言は出来ない、どころか実際には大して関係無いのではなかろうか。
さて本題。果たして僕は明るいのか暗いのか。
僕の大抵の感情は一晩眠ってしまえば終わる。怒りや悲しみ、喜びや楽しみといった感情は一晩で消費され尽くし継続しない。「君にとって世界は起きる度に新しいものなのかもしれないね」という知人の言葉を思い出した。感情が消費され尽くすものだから物事も継続され難い。僕にとって殆んど物事は感情と共に存在しているのだから。
これは楽観主義が故か悲観主義が故か。僕はどちらなのだろう。


こういうような文章を自身でも記すけれど楽観でもなく悲観でもないかもしれない可能性に目を向けない事には問題が在ると思う。日本人だけかもしれないし人間全てかもしれないけれど二択が好きなのかな。子供時代に行なわれていた「究極の選択(例えばA君とB君が居て絶対にどちらかと結婚しなければならないとしたらどっちと結婚する?)」みたいな事。どれも「究極」には程遠い「選択肢」だったけれど。それとも好悪の感情には全く関係のない原始的な習性なのだろうか?それとも教育?どれでも構わないし興味も無いけれど、取り合えず二択に拘る事は好ましくないと思う。