常識程に僕を閉塞するものは無いけれど

誰にでも在るのではなかろうかと前置きし僕の普遍性を匂わす事に何の意味も無いが、同意を得ようとする場合に便利な言葉で敢えて使用するならば、誰にでも在るのではないだろか。誰にも無かったならば同意を得るどころか孤独を得る諸刃の剣。
では何が誰にでも在るのではないかと思うのか。何となく。何となく少しだけ、しかし妙に嫌な事。凄く嫌なわけでもないし説明可能な根拠も無い。説明しようにも僕にも分からない事を僕は説明出来ない。分からない事を説明出来たら僕は神だし説明出来る振りをするならば嘘吐きだ。僕は神ではないし嘘吐きの可能性は拭えないが少なくとも今は嘘を吐いていない。だから説明出来ない。只、何故か自身でも不思議と嫌な事。不快と断言出来る程に不快なわけでもない僅かな不快感。苦手と明言出来る程に苦手なわけでもない微かな苦手意識。
部屋の窓を閉め切る事が嫌。雨戸を閉め切る事は更に嫌。夏でも冬でも閉め切る事は嫌。せめて網戸にしておきたい。少しでも良い。少しでも良いから窓を開けておきたい。
車に乗る事が在るのだけれど僕自身の運転でも他人の運転でも車の窓を開けておきたい。僕の座っている座席の窓を開けておきたい。冷房が動いていようと暖房が働いていようと開けておきたい。少しでも良い。少しでも良いから開けておきたい。
エレベーターに乗る事が嫌。硝子張りで外が見えるエレベーターは少し楽だけれどやはり嫌。時間が掛かってもエスカレーターが良い。無ければ階段でも良い。
地下に居る事が嫌。地下鉄も地下道も地下街も地下室も嫌。少しでも良い。少しでも良いから地上や空が見えるようにしてほしい。出来れば即座に外に出られるようにしてほしい。
勘が鋭い人などは気付いたかもしれないけれど僕は閉じた空間に居る事が嫌。閉じた空間が狭い程に嫌。閉塞感や圧迫感が苦手なのかもしれない。と、記していて思ったけれど僕は閉所恐怖症に近い性質なのだろうか?