徒然なるままに

今日はすっかり晴れていて台風一過という言葉がぴったりな天気。
髪の毛を徹底的に透いてもらって、やっと(形はおかっぱのままだけど)おかっぱっぽくなくなったと安堵していたら、何回目になるか忘れる程に聞かされた知人の結婚話を再び聞かされて、どういう意図で結婚したのかは知らないけれど僕くらいの年齢で結婚とは余程にのっぴきならない事情(子供を作った、この人しか居ないと思った、借金の返済、他人の目を欺く、など)が在るのだろうなと想像する。さてこれを僕に当てはめて考えると僕は切羽詰った事情というものが無い。正確には切羽詰ってはいるのだが、それは他人に全く関係無く僕一人で切羽詰っている。他人との関係の前に僕は自身の事だけで僕は手一杯で他人に関心を寄せる程には余裕が存在しない。僕の心的容量は狭い。知ってはいたけれど改めて確認すると沈む。なので現在状況確認すらままならない。自分のゆとりの無さには嫌気すらする。そしてそれと反比例するかのように僕は他人に大抵の事を起用にこなし余裕が在る人間と思われているらしい。「何でもそつなくこなすと思ってた」とは知人の言。一体全体何処をどうみたらそういう風に思うのかは分からない。分からないが想像するに心情が表に出難い事が原因なのではないかと思う。もっと心情を表面に出すようにすれば良いのかもしれないけれど僕はその行為が苦手だ。そして心情の抑制も表面上の制御も苦手だから始末に負えない。要するに意図的に自身を制御するのが苦手。こんな事すら苦手などと思っているようでは自身の事で手一杯になるのも当然。もう少し、ほんの僅かでも良いから余裕が欲しい。