人を人とも思わない

活字中毒症状は治まった。土日にそこそこの量の本を読んだのが発症原因だったのか。それともその時の最後に読んだのが柳原慧さんの「パーフェクト・プラン」(宝島社)という本で『第2回「このミステリーがすごい!大賞」大賞受賞作』と帯に書いてあったから興味本位で買ったのだけど、読んだ感想は「凄いのかもしれないけれど面白くはない」という感じだったからかもしれない。この時の不完全燃焼が引き金の可能性も在る。
さて昨日の日記の補足らしき事はこの辺にして。
僕は心に余裕が無い人間なので態度の大きい客や店員に接すると不愉快になる。
客の場合、「買ってやる」という意識が溢れ出している人間。「こっちが金を出すのだから店(店員)はおとなしく言う事を聞いていれば良い」という思考の基に偉そうな態度や言葉遣い。限度を知らない人間だと「お客様は神様です」と信じているのではないかとその精神構造を疑いたくなる。「お客様は神様です」は間違っている。圧倒的に際限無く間違っている。「お客様」は「お客様」でしかない。「お客様」は金を渡す、店は物品やサービスなどを渡す。そこは対等な交換で成立する関係でしかないはずだ。あくまで相互利益の為の交換のはずなのに「お客様」の態度が大きいのが僕には理解出来ない。勘違いした醜い自意識を晒すのが恥ずかしくないのだろうか。
店員の場合、「売ってやる」という意識が溢れ出している人間。「欲しい物が在るから当店に来たのだろう?気に入らなかったら他店へ行けば良い」という思考の基に偉そうな態度や言葉遣い。限度を知らない人間だと「当店の商品が最高で、他店のは駄目だ」と信じているのではないかとその精神構造を疑いたくなる。正直な話、多少の差は在れど探せば似たような物は幾らでも在る。「当店」でなければならない理由なんて滅多に無い。似たような物ならば何処の箇所で決定するのか。接する店員の態度になる。大体、店だって金が欲しいからこそ物を売っているのだろう。ならばやはりそこは対等な交換で成立する関係でしかないはずだ。あくまで相互利益の為の交換のはずなのに「店員」の態度が大きいのが僕には理解出来ない。勘違いした醜い自意識を晒すのが恥ずかしくないのだろうか。
買う方が人間ならば売る方だって人間だ。
売る方が人間ならば買う方だって人間だ。
「客」とか「店」とかではなく「人間」と接していると思えば、もう少し普通の態度で接するのではないのかな。