恐怖は常に其処に

大抵の人には恐怖の対象というものが在ると思う。物体だったり状況だったりと対象の種類は様々だろうけれど。
僕にも幾つかの恐怖の対象が在り、その中の一つに「終わり」というのが在る。これは状況になるのだけど何かの物事が「終わる」のが怖い。同時に物凄く寂しい。
楽しい飲み会や遊びは言うに及ばず、物語や音楽、果ては関係の終わりまでもが怖くて寂しい。例えば飲み会や遊びは大抵が一日二日で終わる。物語を読む事や音楽を聴く事なんてたったの数分から数時間で終わる。知人・友人・恋人関係は互いに連絡しなくなれば終わるだろう。勿論、終わってほしくない事が対象内容だから終わってほしい事が終わっても何とも思わないのだけれど。
始まりが在れば終わりが在る。終わりが在るからこそ始まりが在る。知ってはいるのだけれど、それでもやはり怖くて寂しい。
最近、友人にこの話をしたら「全ての物事は継続中で終わりなんてないんだよ。例え消えても存在していたなら必ず何かが残る。形は変わるかもしれないけれど受け継がれていくものだよ」と言われた。
分からない話でもない。でも臆病な僕にはやはり怖い。だから何かを始めたりするのが苦手だ。何かを始めるという事はいつかその何かが終わるという事なのだから。始めるというのは終わりを始めるという事だ。いつか終わる事が大前提として在る。それが僕には怖くて寂しい。
「そんなわけで僕は好きな音楽を聴く事や物語を読む事すらも躊躇するのだよ。事実、暫く前に買った好きな物語の最終巻だけ未だ読んでいない」と言ったら「馬鹿っ!」と一喝された。酷い。