常に健康で居るというのも一つの才能だと思う

整理の常か最初は必要な物と必要ではない物(捨てる物)と分ける作業から。で、必要かどうかを判断するのに当然一つ一つ確認するのだけど昔の物を見ると過去を思い出す事が在り落ち込むやら自己嫌悪になるやら。中でも写真は相当な破壊力が在る。僕が写真を撮られるのが嫌なのはこの事を以前に体験したからかもしれない。
それ以外にも様々な発見などが在る。
たとえば僕は運動が嫌いなのにスポーツ科学なんて受講していたようで健康観に関する物を発見。それによると健康観には

  1. 抗病主義健康観 心身に病気や異常が無い状態が健康であり、病気や異常が在っても除去されれば健康になれるとする考え方
  2. 体力主義健康観 体格や体力に優れている状態を健康とする考え方
  3. 生体機能主義健康観 呼吸機能、循環機能、新陳代謝機能など、あらゆる生体機能の旺盛な状態を健康とする考え方
  4. 能率主義健康観 元気よく働いて、よく能率を上げる状態を健康とする考え方
  5. 環境主義健康観 心身共に環境によく適応出来る状態を健康とする考え方
  6. 精神主義健康観 人格円満な状態を健康とする考え方

などが存在するらしい。身体面を重視するものや精神面を重視するもの、心身両面を重視するものが在るみたいだけれど知らなかった。僕はこの講義を受けたはずなのだけどな。
最後に
身体的な健康の為には身体を守るという考え方から作るという事が大切であり、生活習慣を含めた健康を作るという生活様式が重要になってくる。更には日常生活の中における運動の生活化なども重要なポイントになる。また精神的な健康の為には複雑な社会生活の中にあって自分は如何に充実した生活、人生を送れるかという事にかかってくる。それには心の持ち方(自分の人生観、世界観などが確立し安定している事。毎日の生活に生き甲斐を感じる事、作り出していること。自分の意志や感情が表現出来る事)が肝心である。
と在るけれど、これによると僕は(特に精神的に)不健康らしい。だけど(僕も含めて)誰もが簡単に健康になれるなら医者なんて殆んど要らない。「患者は病気の時にだけ医者を必要とするが医者は常に患者を必要とする」という西洋の(だったかな?)諺に在るように患者が多いからこそ医者も医者で居られるのだから。医者の多さが健康維持の難しさを証明している。なんて不健康な人間の言い訳。

本日の整理
4時間30分。未だ捨てるのが主な作業。