瓶詰めの手紙

スキーへ行ってから未だに右肋骨周辺が痛い。微妙に長いのだけど同じくらいの期間、気になっている事が在る。僕の劣悪な脳髄がこの期間ずっと気になり続けているというのはちょっとした快挙に近い。
気になっているのは言葉は本当に意思や思考、思想を他人に伝えるのか、という事。我ながら何を気にしているのか、何を気にしたいのかいまいち理解出来ないが気になっているのだからどうしようもない。これも本能の必要性なのかな。
言葉。僕は言葉によって他人に自分の伝えたい事を伝えようとする。僕はその時に伝えたい内容を伝えたい相手に伝わり易くする為に言葉を組み立てる。そしてそれを僕の口調や態度、雰囲気で相手に伝える。当然、共通認識を持っているというのが大前提。
この時点で幾つかの問題が在ると思う。伝えたい内容を宝石の原石だと考えてもらえれば分かり易いかもしれない。伝えたい内容を言葉で組み立てるのがカット、言葉で伝えるのをプレゼント、その時の伝える口調や態度、雰囲気をカットされた宝石を付けるアクセサリー、という風に。僕が伝えたいのは原石でしかないのだが相手に伝わるようにする為に結果的には原石でなくアクセサリーになる。相手に伝えるのが最重要課題という前提が在るから仕方ないのかもしれないが、そこには一体僕の伝えたい事柄の何割が在るのだろう。これが最初の問題。
次の問題はカットした後に僕自身が原石を忘れているという事。これは僕の記憶力が問題なのではないと思う(つまりは言葉そのものの問題なのではないかと思う)。確かに僕は最初に伝えたい原石を持っていた。しかしカットした後にカットされたものを原石と思い込んでいる可能性が高い。原石を伝える為に考えていたのにカットしたものを原石だと勘違いし縛られる。言葉の強制力はとても強いし多少の個人差は在るだろうが誰にでも働く。誰にでも。伝えられた相手は勿論、考え伝えている自分にもだ。原石とカットされた宝石の差異を理解しながら伝えなければならないのに忘れているというのはある意味では危険だと思う。これが2つ目の問題。
最後にプレゼントの仕方。同じプレゼントでもアクセサリーで相当に受け取られ方が変わる。笑顔でプレゼントされる方が良いだろうし、出来れば包装しないで渡されるよりは包装された方が気分が良いだろう。プレゼントにカットされた宝石だけでなくそれを付けたアクセサリーも一緒の方が受けが良いのは当然の事。そして相手に受け入れられるのが最重要課題。しかしあくまでもプレゼントしたいのは宝石であってアクセサリーではない。ここが難しい。受け入れられなければ話にならないが受け入れられてもアクセサリーにのみ集中されては困る。これが3つ目の問題。勿論、プレゼントする人間とされる人間の関係も重要だが、言葉の問題ではないので言及しない。
言葉が自分を他人に伝えられたとしても問題は在る。そして何よりも言葉は自分を他人に伝えていると思い込んでいるだけで、自分の思考や思想を言語化する事で自分で確認しているだけではないのかという可能性も在る。自分の言葉は他人に全然伝わっていなくて自分を固定しているだけ、他人の言葉は自分の考えるきっかけでしかないとか。
真実がどうなのかなんて僕は知らない。知っても知らなくても僕は僕の方法で僕の伝えたい事を伝えようとするだけだ。傷つきたくないから期待しない。期待しないから裏切られない。裏切られないから絶望しない。絶望しないから希望が無い。希望は無いけど諦めきれない。諦めきれない僕に出来るのはそれだけ。