在りし日の僕と僕以外の誰かの会話

「人生や幸福とは何かな?君の意見を訊きたい」
「僕としては他の楽しい話をしたいのだけどね。まぁ、構わないよ。ただ一つ疑問が在るんだが僕の意見を聞いてどうしようというのだい?僕の意見が下らないと酷評するつもりかい?もしくは素晴らしいと絶賛するつもりかい?どちらも遠慮するとしよう。意見というのは個人のものであって他人の評価をうけるべきものではないと考えるからね。それが人生や幸福なんて個人的過ぎるくらい個人的なものなら尚更だ。それとも僕に対して同情、悲嘆、憐憫、憤怒、などを喚起しようというつもりかな?しかし、どれも僕には必要ない。そもそも意見というものは思考であって感情ではないからね。思考に対し感情を持ち出すのは筋違いというものだ。もしかして僕の意見は誤っていると非難してアイデンティティや自信を強固にしようというのかな。そんな事でアイデンティティが強固になるのなら羨ましいくらいに安いものだと思うが、生憎そこまで君に協力する気はないよ。また僕の意見を正しいと信用して自分のものにするのもお勧めしない。信用するのは君の自由だが僕の意見は僕の為だけのものであって君の為のものではない。いつか君を裏切るだろう。共感するのも頂けないね。安易に共感なんてする人間はその本質を疑われてしまうよ。かといって何にでも反感を持つのも愚かしい。それでは安易に共感なんてする人間と同じようにやはり本質を疑われてしまう。もし君が他人に疑われても構わないというなら、それは他人を必要としないということだ。必要としないは言い過ぎかもしれないにしても他人の意見を気にしないという事で、となると僕が意見を述べる必要も無くなってしまうね。そして、君が僕の意見を何かの参考にしようとしているのなら止めておいた方がいいと忠告しておこう。僕の意見は僕の意見として存在するけれども僕の意見としてしか存在しない。君にとっては何の役にも立たないだろうからね。さて少し前置きが長くなってしまった感があるが確認だけさせてほしい。それでも僕の意見を聞きたいかい?」
「いや、自分で考えるからいいよ」
「それがいい。少なくとも僕の意見を聞くよりはずっと建設的だよ。では他の話をしよう。できるだけ楽しい、ね」
この後に楽しい会話をしたのかどうかは覚えてない。