優れた戦士が優れた指揮官ではない

物事には適材適所というものが在る。野球が上手だからといって優れた監督になるわけではないし、走る事が速いからといって優れた指導者になるわけでもない。同様に、野球が下手だからといって劣った監督になるわけでもないし、走る事が遅いからといって劣った指導者になるわけでもない。其々が其々に向き不向きというものが在る。
自分の好みと向きが一致すれば、それは優れた結果を残す事だろう。恵まれているとも言える。恰も相思相愛の如く。それで本人が幸福かどうかは別にして。
自分の好みと向きが一致しない。それでは優れた結果を残す事は不可能ではないにしても難しいだろう。恵まれていないとも言える。恰も叶わぬ恋慕の如く。それで本人が不幸かどうかは別にして。
けれど、好みと向きが一致しない場合。その場合、本人が幸福か不幸かは別にして、周囲の人間にとって迷惑となる事が多い。周囲の人間にとって不幸となる事が多い。


幸福の追求。それはゼロサムゲームのようなものなのかもしれない。