忙しさを殺すか忙しさに殺されるか

忙しいと思っていた。思っていたのだけれど忙しいわけではなかった。忙しくなっていたり忙しくされていたのではなく忙しくしていた。自身で。
という事で僕は致命的に時間の遣い方が下手らしい。何が問題なのか。
僕は金の遣い方は下手ではないと思う。自己判断なので多少の誤差は在るだろうけれど下手ではないと思う。遣うべき場面では遠慮容赦無く遣う。遣うべき場面でなければ気分次第。遣うべきでない場面では遣わない。けれど全ての場面で収入を前提として支出を考える。
これを時間に置換してみる。遣うべき場面では遠慮容赦無く遣う。これは同じ。遣うべき場面でなければ気分次第。これも同じ。遣うべきでない場面では遣わない。これが違う。遣うべきでない場面でも気分次第。そして何よりも全ての場面で収入を前提として支出を考えていない。時間の収入とは1日毎に24時間が得られるという事。返せば1日は24時間しかないという事。僕は知識としては兎も角、これを前提として行動していない。だから時間が足りなくなるし忙しいと思うようになる、のだろう。
この問題を解決する為に何を行なうか。
時間を奪う。
無駄な事を行なう余裕が無くなる程度に本当に忙しくなる。これも一つの方法だけれど過去にこれで失敗した事が在るので却下。
時間を与える。
幾ら無駄に遣っても問題にならない程度の時間的余裕を作る。悪くはないけれど余裕の作り方が分からない。


結局、問題は続く。