鏡の中の平行世界

「運命の分かれ道」のような概念が在る。可能性の分岐とでも言うべきものか。無かった可能性の行く末を平行世界などと呼ぶ事も在る。けれど僕は「運命の分かれ道」というようなものが在ると思っていない。
例えば僕が再度誕生から行なっても僕は今までと殆んど同じような事を思考し行動するだろう。恐らくその差異は極々微々たるもので僕の根幹に変化は無い。それは何時でも何処でも僕は僕でしかないのだから。勿論、環境が変われば変わるのかもしれないけれど、環境が変わる事も無い。僕だけではなく僕以外の人間達も当人達でしかないのだから。そして極々微々たる差異なのは人間だけではない。生物の習性も無機物の構成も。今の状況は必然。運命は分かれない。
物語の登場人物には物語を読めない。運命の担い手には運命を観れない。だから物語を読むには登場人物にならなければ良いし運命を観るには担い手にならなければ良い。それは難しく、それが難しい。物語に登場人物以外は存在不可能だろうし運命に担い手以外は存在不可能だろうから。


必ず例外は在るけれど。