禍福は縄の如しというよりも塞翁が馬

何時何処から何が訪れるなど予想は可能でも予知は不可能で、万能でも全能でもない僕には予想すら満足に行なえない。ましてや偶発性まで予測可能な程に人間を辞めてはいない。
不意打ちに近い、というよりも不意打ちそのものを喰らいくたばるのは身体ではなく心情。
理解と想像と感情を処理出来ずに上へ下へと揺さぶられ右へ左へと翻弄され、残ったものは想像よりも想像のような現実。そして結果。それは同時に一つの過程だけれど。


だけれど結果でもある。