サイコロ

元々行動意欲の旺盛な人間でもないけれど更に磨きが掛かって行動意欲が減退している現在は自身から何かを行なおうとは思わないし思えない。
にも関わらず僕の休日の予定が次々と決定してゆく。当然の事ながら僕の思想や意思などは殆んど介在しておらず、最終決定事項を伝えられ確認するだけの行為で予定が発生する。
僕の周囲の人間だけなのか最近の人間に多い種類なのか把握していないけれど、「〜を行なわないかね?」というような問い掛けではなく「〜を行なおう」というような相手の意思を無視しているような誘い文句を聞く事が多い。意識的になのか無意識的になのかは不明だけれど僕が断るという事を少しも考えていないような言葉。それとも僕には選択肢が無いという事だろうか。何れにせよ賽は投げられた。


問題なのは「投げた」のではなく「投げられた」という事。僕の賽のはずなのに投げたのは僕以外の人間。