公式に導き出される心情

僕の知人に人間の感情を公式で考える人間が居る。
その知人は自分の行為が他人の心情にどのような影響を与えるかを最優先に考えて行動する。知人が言うには自分の本心を他人に晒す必要は全く無く、相手にどのような印象を与えたいかだけを考え、与えたい印象を与えるにはどのような言動と行動を行なうべきかを考えれば人間関係は良好らしい。
それだけではなく、自分が好意を抱いている人間には好意を抱かれるように行動すれば簡単に恋愛関係に発展するらしいし、仮に好意を抱けない人間や敵意を持つ人間相手にも好意を抱かれるように行動していれば問題が発生する確率は減るし何らかの益をもたらす可能性が在るらしい。
だから知人は人間関係は簡単だと言う。
良好な人間関係の構築を難易度の高いものと捉えている僕には理解不可能だけれど、思い返せば僕は他人の心情そのものに興味を持つ事は在っても僕の言動や行動が他人に与える影響に全然興味が無い。
僕と知人の違いは思考の違い、と言ってしまえばそれまでだけれど、それだけでなく基準すらも違う。
僕は基本的に僕以外の人間の心情は僕でないから理解不可能と認識しているけれど、恐らく知人は自分ならばどのように思うかを想像し、それを他人に投影しての認識をしている。
人間同士の意思疎通というものは共通認識が在ってこそのものなのだから関係構築という意味で正解に近いのは知人の認識だろう。勿論、それは他人の心情を自分で勝手に想像してしまっているのだから行き過ぎれば他人の心情を他人ではない自分が勝手に決め付けているという事に繋がるものだけれど、しかしそれでも理解不可能としているよりは発展性が在る。


理解不可能というだけではなく僕は他人の心情を勝手に決め付ける事を問題だと思ってもいるから敢えて想像しようとは思わないけれど、円滑は意思疎通と良好な関係構築の為には多少必要なのだろう。