指揮者足り得ない指揮者

日本の一般的な会社機構の問題なのかもしれないけれど指揮者が指揮者足り得ない状況に嫌気が差す。
部長、課長という指揮権を持つ人間の多くは下積みを重ねてきた人間が多いのだろう。それが悪いとは言わないし思わない。
けれど幾ら下積みを重ねてきたからとはいえ指揮権を持つ人間が最前線の人間と同じような思考では困る。最前線の人間には最前線の為の思考が在る。同時に指揮権を持つ人間には指揮する為の思考が在る。にも関わらず気分だけ指揮権を持つ人間になっても思考が指揮権を持つ人間のそれではなく最前線の為の思考でしかない。
究極の理想はそれぞれが全体を気にしつつ自分の為すべき事を為す事だけれど全員にそこまでの意識と能力を望む事は無理が過ぎる。
或る意味での理想はオーケストラだと思う。それぞれの奏者が周囲を気にしつつ自分の演奏をし指揮者は全体を気にして指示を行なう。けれど一般的な会社では指揮者が奏者と同じ思考で居る事が多い。それでは指揮権を持っている意味と必要が無い。それはその指揮者が必要無いという事になる。
最前線の事を考えない指揮者には問題が在るけれど最前線の事しか考えない指揮者にも問題が在る。


最前線の人間に必要なのは主に技能だけれど指揮者に必要なのは主に想像力。必要技能が違うのに優れた最前線の人間が優れた指揮者になるなんて幻想が罷り通る。でもそれは素晴らしいくらいに的外れ。