全体と個々の関係

「仕事が楽しい」という精神が僕には理解出来ない。「遣り甲斐の在る仕事」というものを求める精神も理解出来ない。「仕事が好き」というのは以ての外。
思うに「仕事が楽しい」という精神は「学校が楽しい」という精神と同類なのではなかろうか。
思い起こせば(と言っても殆んど覚えていないけれど)僕は学校を楽しいと思っていなかったし好きではなかった。同窓生や同級生との関係が楽しくなかったわけでもないし教師や講師などが嫌いだったわけではないし、学業の成績が特に酷かったわけでもない。しかし学校というものを楽しいとは思わなかったし好きにはなれなかった。なろうとした事も無いけれど、兎にも角にも楽しくもなく好きでもなかった。
これは個々人の分類の方法に因るのかもしれないけれど例えば「学校は楽しい」や「学校が好き」という人間の場合は「学校の授業は楽しい」だから「学校は楽しい」や「学校の友人が好き」だから「学校が好き」なのだろう。これに対し例えば僕の場合には「学校の授業は楽しい」けれど「学校は楽しくない」や「学校の友人が好き」けれど「学校は好きではない」となるのだろう。
要は僕は学校だろうと仕事だろうと内実に関係無く楽しめないし好きにならない。一部分は楽しくとも一箇所は好きでも全体を楽しんだり好きになったりはしない。全体は個々で成り立っているのか個々が全体で成り立っているのか。実際には相互関係だろうけれど、どちらにせよ僕は仕事や学校全体を好きにはならない。
仕事を楽しめたり好きになったりすれば多少の変化は在るのだろうかと思う一時の戯言。何の解決にもなっていない。