死にゆく優しさ

『三匹の子豚』というような題名だったと記憶している童話が在る。それについて友人から疑問が寄せられた。
「何故に狼はレンガの家を火攻めにして蒸し焼きにでもしようと思わなかったのだろうか?」と。更に「狼は実は優しい奴だったのではなかろうか?」とも。
優しいとはどういう事かを考えれば分かると思うのだが、狼は別に優しくはない。人間だって豚を食べるし牛を食べるし鳥を食べる。対象が同じでも生物として観た時は可哀想だと思うかもしれないけれど食物として観た時には可哀想だとは思わない。捉え方によって変化しているに過ぎない。
この場合、狼は子豚を食物としてしか観ていない。子豚を生物としては観ていない。食物に対して可哀想だと思う事は無い。狼が子豚を蒸し焼きにしなかった理由は僕には分からない。単に火が使えなかったのかもしれないし火を使うという発想が無かったのかもしれないし生が好きという嗜好の問題だったのかもしれない。僕には分からない。しかし、狼が優しかったという答は決定的に間違いで絶対的な不正解。正確にはこの物語だけでは狼が優しいか否かの判断材料が少なすぎて判断不可能。故に正解は存在しない。正解が存在しない問題の解は全て不正解でしかない。
特にこの友人だけの話だけではないけれど、このような混同が多数存在している。優しいと甘いや厳しいと酷いなど。混同しているが混同しているままで問題が無いのは混同していてもしていなくても自分にとって心地好ければ良いというのが人間の多数を占めるから。問題を解決しようとする人間は多くとも問題を作成しようとする人間は少ない。不満を解消しようとする人間は多くとも満足に満足を重ねようとする人間が少ないのと同じように。


面倒だったので友人には「肉は生が一番旨い」とだけ言った。豚肉なのに。