いつも笑顔でなんていられないけれど

友人が「人間を二分化する場合、笑いの世界の住民と笑いの世界ではない住民とに分ける事が出来る」と言った。
正直、その区分けはどうなのかと思わない事もなかったが話の途中なので続きを促がした。
「僕は場に居る人間と場の雰囲気を観て笑いを作ろうとしている。笑いの状況を作る為に考えている。言うなれば僕は元々は笑いの世界の住人ではなかったけれど笑いの世界の住人になりたくて常に努力していた。そして笑いの世界の住人になれた今でも努力し続けているのだよ。そうでなければ元々は違う世界の僕は追い出されてしまうだろうからね」
笑いとはそんなに重要なものなのだろうか。僕には分からなかった。分からなかったけれど努力する事自体は凄いと思った。目の前に在る作業を行うのではなく目的達成の為に努力する事は僕には難しいからかもしれない。だから思ったままに伝えた。
友人は更に続けた。「凄いかどうかは兎も角、僕は努力している。それに比べ、君はどうだい?」と。
僕には意味が分からなかった。僕は笑いというものが努力を要する程に重要だとは思っていない。笑いが在れば良いとも思う場合も在るけれど無ければ無いで無いだけでしかないと思っている。と思っている。だから「どうだい?」なんて言われても返答に困る。
納得したように「君は特別に笑いを意識していないと言う。努力もしていないと言う。それはその通りだろうと思うよ」と言う友人。
友人が何を言いたいのか詳しくは分からないけれど納得してもらえて良かったと思った。
「それはね、君が生まれついての笑いの世界の住人だからだよ。特に意識していなくとも無意識的に笑いを求めている」
全然、納得していない。というか誤解している。それも大きく。
「君、何か在ると流したりしないで突っ込むだろう?」
何か在れば突っ込む事さ。人間として当然だろう?
「君、突っ込み所満載な話をするだろう?」
そんな話はしない。
「無意識の内にかもしれないけれどしているよ。でなかったら僕には突っ込めない」
それは君が僕の話を笑いにしようとしているのだろう?
「そこの認識が間違っているのだよ。僕が突っ込むから笑いになるのではない。君が突っ込み待ちのような話をするから僕は突っ込むだけだ。僕が笑いにしようとしているのではない。既に笑いの準備はされていて僕は最後の仕上げをしているに過ぎないよ」
まるで僕が原因みたいな言い方だね。
「みたいではなくて君が原因なのだよ」
僕はそんな事を意図していない。
「それこそ君が元々の笑いの世界の住人たる証拠だろう」
何が何でも僕を巻き込みたいのか。


話をしながらアフタヌーンに掲載されている「リンガフランカ」を思い出した。