主義は在るはずだけれど主張する気は無い

資本主義国家でも一番お金を持っている人間が一番偉いわけではないし社会的正義というわけでもない。主義とは何だろう。
そういうように声高に唱える主義主張と内容が一致していない事なんて数え切れない、数える気を失うくらいに在る。経費削減を掲げながら無駄遣いの無くならない企業や他人の幸福を唱えながら自分の幸福を祈る宗教、動物の保護を訴えながら動物を食べる団体、愛を囁きながら愛が無い人間。他にも幾らでも在る。それが悪いとは言わない。それが悪いとも思わない。人間はそのような生物だと思うし、そもそも僕には善悪を判断する事を行なわないし判断する気も無い。だから善悪では判断出来ない。
けれど不可解ではある。不可解で仕方ない。主義主張を声高に唱えているだけでは実現しない。実現させる為には行動しなければならないというのに実行はしない。なのに何故か主義主張を声高に唱えている。
それとも万が一、もしかして、ひょっとして、主義主張を声高に唱えていればいつの日にか自動的に実現するとでも思っているのだろうか。