疑うからこそ試す

昨日にも記したけれど試験が在る。今までの経験を試すという意味(だと勝手に思っているもの)でまさに僕という人間の人生を試される。試験とは試練と言い換えても良いのかもしれない(良いわけがない)。
とある宗教での神は人間に神を試すな疑うなと言ったらしい。その反動か人間は人間を試す事がお好みのようで試験や試練などと名称を変えてはいるものの基本的には他人を試したがる。試したがるという事は疑っているという事と全くの同義ではないけれど近しい。やはり反動なのだろうか。
疑うような気持ちが在るからこそ試したくなるのだろうけれど一定の方式に従った試験や試練では対象の人間の一部だけしか理解出来ない。一部を理解しただけで全てを理解したような気になるのは人間の性質として仕方ないのかもしれない。疑っていれば一部分だけで全てを判断してしまう。もう少し他人を信じても良いのではなかろうか。
と思ったりもするけれど無条件で他人を信じる事は僕には不可能だろうと思える難易度。