劣等の対義語は優等なのに劣等感の対義語は優越感

或る実験の話。
同じような成績の人間を何十人か集めてクラスにして授業を行なってると成績の悪い「落ちこぼれ」が出てくる。大体三分の一の割合で。その三分の一の人間をクラスから排除し残りの人数で授業を行なっていると、残りの人数の中から更に三分の一程度の割合の人間が「落ちこぼれ」る。最初の成績が優秀でも優秀でなくても同じような結果になったらしい。
僕は授業を行なった期間や最初の人数、実験目的などは知らないしこの結果によって実験者がどのような結論を出したのかも知らない。
僕が興味在るのは最初の成績に関係無く約三分の一の人間の成績が落ちる理由。何故、最初は同じような成績だったのに一つのクラスに集めると成績が悪くなるのか。
「落ちこぼれ」た人間本人が一定の組織単位(この場合はクラス)を意識しその中で自分を下位だと自分で位置付けし認識してしまったからこそ「落ちこぼれ」てしまうのか、それとも一定の組織単位の人間全てが自分よりも下位の存在を求め、たまたま標的となった人間が全員の願望を受け「落ちこぼれ」にされるのか。本人の認識故か全員の願望故か。それが意識的なのか無意識的なのか。若しくはそれ以外の何かか。
僕には自信が在る根拠が無いから断言出来ないけれど、どれか一つが理由なのではなくそれらの複合要素だと思う。個々人によってどの影響が強いか弱いかは変わるだろうけれど。