人間目安箱

僕は相談される事は少ないが愚痴を聞かされる事が多い。これは僕の意見は殆んど役にたたないが話は聞くという事を示しているような気がする。
話をする時に人間はどうしても主観的になる。それが愚痴ともなれば尚更だ。一方(愚痴る人)の話だけではなく両方(愚痴る人と愚痴の対象者)の話が聞ければ一番良いのだろうけれど、愚痴の対象者が居る時に言う人間は少ない。そして必ずしも両方に僕が面識が在るとは限らない。どうしても愚痴は話し手の主観に偏った内容として僕に伝わる。それを考慮して(愚痴の内容にもよるが)問題点を指摘する。大抵の問題は問題を抱えた当事者全員に原因が在ると思う。そして僕はそれほど他人に同情する性質ではない。だから僕は愚痴の対象者だけでなく話し手の問題点も列挙する。要するに僕は愚痴を聞かされた時、一方的に話し手の味方をする事が少ない。
だから相談されないのだと思う。
人間は相談する時に自分の中で結論を出している事が多い。本当にどうしようか考えている時には相談せずに一人で考えている。相談する時は自分の結論に対する肯定的意見が欲しいなどであり、自分の結論の第三者的な評価などの中立的意見などは殆んど必要としていない。
愚痴も同様に中立的意見などは必要としていないだろうが愚痴は相談程には肯定意見を求めておらず、ただ話を聞いてほしいだけの事が多い。相手が聞いている事の確認として言葉を求めてはいるだろう(=黙られるのは嫌という事だ)が大抵は相手の言葉の中身は大して重要視していない。だから話を聞く僕に愚痴を言うのだろう。もしかしたら僕は愚痴を言われ易いのかもしれない。愚痴を聞くのは嫌いではないし。
だからといって「一回生でやらせたら毎回生でやりたがっちゃってさ、妊娠したらどうしよう」なんて言われても困る。嫌なら断るが吉。というか
僕に、恋愛の、話を、聞くなっ!