結婚飽和時期

コーヒー飲んで頑張って起きている現在の時刻は午前2時近く。さっさと眠れ、その方が明日の自身の為だという体の訴えを無下に却下して日記を記す。記さずにはいられないというわけではないのだが折角だから。と、思っているが何が折角なのかさっぱり。
さて本日は知人と食事。多分この前に会ったのは昨年なので久しぶりという事になるのだろうけど、余りの変わって無さにそんな気はしなかった(本当は顔すら覚えてなかった。見て思い出したというのが正解)。食事をしながら近況などを語り合うひととき。家族の事、共通の知人の事、仕事の事・・・。すると、おもむろに「そう言えばさ」と知人が話し出す。わざわざ話を仕切り直して話そうとするくらいだし、今日僕を呼び出した理由であろう本題に入るのかと思っていると知人は続ける。「結婚しても良いって思える人に逢えたんだよ」
君もか。君も結婚か。
親しき友人ではないとはいえ何年かの付き合いはある知人。知らない他人の幸福を祈願する程の余裕は僕に無い。僕は自分の事で手一杯だ。だけど知人の幸福すら祝福出来なく成りたくはない。せめて僕が関係したい人、僕に関係してくれる人には幸福になってほしいと思う(これは僕が幸福に成れないのではないかという感情の裏返しかもしれないが)。そのように思える程度では居たい。だから祝福したいと思う。心の底から本心で。少し前だったら間違い無く問題無く躊躇い無くそうしただろう。しかし、だ。はっきりと言って聞き飽きた。4度目だ。この僅かな期間に4人。僕の決して多くない知人の中で4人。結婚が流行っているとしか思えない。祝福しないわけではない。そんなわけではない。だがこうも重なるとおめでとうという気持ちが薄らぐのは偽らざる本音。このペースだと一年後には僕の知り合いの中で結婚していない人間は僕だけとかになるのではなかろうか。