最近、僕の弟や友達から頻繁に送られてきたメールがある。流行しているのかもしれない。
http://homepage2.nifty.com/pallet/divine_chart.htm/
これは性格診断なのだけれど送ってきた人達が言うのは結構当たるものらしい。早速僕も挑戦してみる事にした。
結果。貴方の色は黄色。正直者は救われる。
になった。僕は正直者だったのか。知らなかった。僕は自身が正直者だなんて思った事は一度たりともない。感情のコントロールは巧くないけれど、それが正直者という事なのか。それ以外にも説明は幾つか在り、中には的中しているのではないかと思うようなものも在った。しかし僕は基本的にこういった診断を的を得ているとは信じない。だからといって的外れと信じるわけでもない。
こういう診断や占いというものを行なった時に信じるというのは、信じたいという願望が自分の内に存在するからだと思っている。昔、常識(常識が信じるに足るものであるかどうかはここでは置いておく)に照らし合わせれば信じないであろう胡散臭い事に騙される人は騙されたい(=胡散臭い事を信じたい)という想いが本人に在るからだ、と聞いた事があるがこういうものを信じるという行為も同じような事だろうと思う。診断や占いを信じるというのは自分はそうなのだと信じたい、もしくは信じているからで、信じないというのは自分はそうでないと信じたい、もしくは信じているからだと。
僕はこういう診断や占いが嫌いではない。僕は診断や占いというのは周囲からの評価みたいなものであると思うし、周囲は僕の考えや行動から僕の像を構築しそれに対して評価をするのだろう。周囲から僕がどのように思われているのかを知るのはなかなかに興味深い。自分がどう思われているかについてどうこう言うつもりも無い。極論してしまえば周囲から僕がどのように思われていても僕は構わない。僕は僕でしかなくどう足掻いても僕で、結局周囲の評価を良くしようとは思えないのだから。どのように評価されようとも僕は僕の気の向くままにしか。
こんな考えだから僕は変わり者なんて評価をされるのだろう(黄色の人物評価に在った)。