唄唄いの唄
STRAIGHTENERのTITLEが高回転。久し振りの男性歌手。そして珍しく歌詞が全く気にならない。何と言っているのか分からなくとも何とも思わない。曲と唄、ではなく声をも含めた曲、として気に入ったようだ。何を気に入ったのかは知らないけれど。
暫らくは高回転が続きそう。
疲労で疲弊
疲れている。元々、体力も精神力も無い。そんな状態だから休息の為に時間が必要で、それ故に忙しく、忙しくしているから疲れる。悪循環。
何時か何処かで何もかもをも放り出してでも区切りを作らなければならない。でなければ今の状況から抜け出せない。この場合、問題になるのは時期。放り出しても大して問題にならない時期を選ばなければ後々厄介な事になり、再び忙しくなるのかもしれないのだから。
けれど時期の見極めに時間が掛かるという事は今の状態が続くという事なので避けたい。可能な限り早めに作りたい。という事で必ず7月中に一区切り置く事に決定。具体的な区切りは流れを見ながら決定する。
7月中という事を決定しただけだけれど、それでも極僅かながらも楽になる。気分の問題。
幸福な終焉か幸福の終焉か
ハッピーエンドが好きでバッドエンドが嫌い。そして中途半端なエンディングが一番嫌い。けれど、ハッピーやバッドなどは判断する人間の感覚次第。断言なんて不可能。
だから僕が好きなのは僕がハッピーだと感じるエンディング。
河原でお昼から
バーベキューを行なった。行なったと言うと恰も自主的に参加したように思えるが当然ながら自主的な参加ではなく外部から参加を強いられた。
最近、僕の選択可否を決する事を避けるという性質以上に可否選択権を奪われている事が多い事に気付いたというか感付いたというか。僕が選択する前に選択肢は消え、前進在るのみとでも言わんばかりの状況に居る。右折も左折も後退も停止も無い状況。そろそろ周囲も僕が選択可否の決定を避ける性質に在る事を気付いて、ならばと選択肢を消しているような気がする。杞憂ならば良いが。それとも単純に僕の意思や性質に無関係に選択封鎖しているのだろうか。
断られる、という事は多少の傷と成り得る。勿論、相手や状況にも因るが。自分が傷付く事を防ぐ為に予め相手の選択肢を封鎖しておく、というのは、方法としては悪くない。けれど、選択肢封鎖は断られる可能性が在る相手に行なうからこそ意味が在る。断らない相手には意味が無い。つまり僕相手には殆んど意味が無い。確かに僕も全てが全てを肯定するわけではないけれど、可能性としては低過ぎる。僕相手に選択封鎖を行なう事は不毛だし、それこそ杞憂と言える。それとも選択封鎖してまででも絶対に僕に断られたくないのだろうか。可能性として零ではないだろうけれど、しかし考慮しなくとも良い程度の可能性でしかない。僕は居ても居なくとも問題無い立場のはずだし、故に僕の存在の有無が物事を決定する事は無いはずなのだから。他の可能性も可能性と呼べる程には可能性足り得ない。
僕は選択しないを選択する。
非現実的だけれど超現実的
現実的ではない、という事は理解出来るけれど、それ以外は理解出来ない。しかし、面白い。
面白い、というだけ。