河原でお昼から

バーベキューを行なった。行なったと言うと恰も自主的に参加したように思えるが当然ながら自主的な参加ではなく外部から参加を強いられた。
最近、僕の選択可否を決する事を避けるという性質以上に可否選択権を奪われている事が多い事に気付いたというか感付いたというか。僕が選択する前に選択肢は消え、前進在るのみとでも言わんばかりの状況に居る。右折も左折も後退も停止も無い状況。そろそろ周囲も僕が選択可否の決定を避ける性質に在る事を気付いて、ならばと選択肢を消しているような気がする。杞憂ならば良いが。それとも単純に僕の意思や性質に無関係に選択封鎖しているのだろうか。
断られる、という事は多少の傷と成り得る。勿論、相手や状況にも因るが。自分が傷付く事を防ぐ為に予め相手の選択肢を封鎖しておく、というのは、方法としては悪くない。けれど、選択肢封鎖は断られる可能性が在る相手に行なうからこそ意味が在る。断らない相手には意味が無い。つまり僕相手には殆んど意味が無い。確かに僕も全てが全てを肯定するわけではないけれど、可能性としては低過ぎる。僕相手に選択封鎖を行なう事は不毛だし、それこそ杞憂と言える。それとも選択封鎖してまででも絶対に僕に断られたくないのだろうか。可能性として零ではないだろうけれど、しかし考慮しなくとも良い程度の可能性でしかない。僕は居ても居なくとも問題無い立場のはずだし、故に僕の存在の有無が物事を決定する事は無いはずなのだから。他の可能性も可能性と呼べる程には可能性足り得ない。


僕は選択しないを選択する。