冷静な野性と情熱的な理性

野性。野生、ではなく野性。野性というと粗野や乱暴などを想像する人間が多いと思う。一方で理性。理性といえば理論的や冷静などを想像する人間が多いと思う。
けれど。
けれど野性の動物は賢くないとされる動物程に無駄な事を行なわない。必要な分を殺し必要な分を犯し必要な分を眠る。そして野性の動物でも賢いとされる動物程に無駄が増えてゆく。人間はその極致に在ると思う。
徒に虐待し無駄に殺すなんて事は限られた動物しか行なわない。大抵の動物は殺した後に得られるメリットが殺すのに必要な時間や労力などのコストと殺した後に得られるデメリットを下回る事が多い事を本能的に理解しているのではなかろうか。それを本能的に理解出来ない一部の動物だけが後天的に学習する。そして本能的に理解出来ず後天的にも学習出来ない動物が殺す。殺す事が自己の性質の根幹に在るというならば未だしも殺す事が根幹に無いのに殺す。
殺し。少なくとも自分以外の他の生物を殺してはならない絶対的な理由などは無い。しかし殺して得られるものは多くない。人間社会では人間殺しを禁止されている事が多く、禁止事項を犯せば不自由な結果が訪れる可能性が高く、それでなくとも返り討ちに遭う可能性などの危険を考慮すれば賢い方法とは言えない。それなのに殺す。
そう考えると野性の方が余程に冷静ではなかろうか。野性と理性。実は野性の方が理論的で冷静で理性の方が粗野で乱暴ではなかろうか。


例えばこんな適当な思い付きをつらつらと記す僕の理性の乱暴さのように。