猛獣飢餓

努力家というものは空腹の獣と同じで満たされないからこそ行動するのではなかろうか。何に飢えているのかは個々人により違うのだろうけれど何かに飢えていて客観的にはどうであれ主観的に満たされない。飢えを満たしたくて渇きを潤おしたくて努力をする。
世間では努力を行なえる事は素晴らしいように考えられているようだけれど、努力は行なおうという意思によるものではなく行なわずにはいられないというような強迫観念や行なわなければならないというような危機感によるものが大部分を占める気がする。もしくは努力をしたという自己陶酔。
何れにせよ強迫観念や危機感で努力を行なう人間に共通している事は努力をすれば状況が改善されると思っている。信じている、と言い換えても良い。だからこそ努力する。強迫観念や危機感は強い原動力となり得るが諦観には勝らない。改善されないと思っている、もしくは信じていたならば人間は努力など行なわない。
未来を知り得ないからこその努力。未来を知り得たならば努力などは存在しないだろう。ただ一つ、自己陶酔で努力出来る人間を除いて。


自己満足や自己陶酔の素晴らしい点は状況や環境などの周囲に影響されない点だと思う。それは最強ではないかもしれないけれど無敵ではある。