悔しさをバネにしてみたいが

「後悔」の記憶しかないわけではないけれど「後悔」の記憶が僕の記憶の大半を占めているので、僕は僕の人生を「後悔」している。それが正確な記憶なのか記憶として正解なのかは別にして。
ところで僕には「悔しい」という感情がいまいち分からない。「後悔」ばかりなのに「悔しい」が分からない。言葉的に矛盾しているように思えるが矛盾はしていない。と思う。僕の独断と偏見によると「後悔」は失った物事に対して発生する感情で「悔しい」は手に入れられなかった物事に対する感情だと思っている。
「悔しい」とは目標達成が不可能だった(もしくは不可能だと思った)時に発生するのだろう。それは例えば勝負に負けた時や成績が悪かった時など。
ここで僕自身の事を考えてみる。僕は人生の中で目標や目的を持たない。持とうとしていないし持ちたいとも思っていないし、持ってはならないとさえ思っている。僕が何かで勝負する場合、負けを求めているわけではないけれど勝ちを求めているわけでもない。勝負が面白ければ勝っても負けても面白いから良い。勝負が詰まらなければ勝っても負けても詰まらないからどうでもよい。
「悔しい」とは目標を持って始めて発生可能となる感情で目標が無ければ発生し得ない。目標を持たない僕には「悔しい」が分からないのも当然。よって「悔しい」という理由で僕が行動する事は無い。


けれど「後悔」し続けているからといって「後悔」という理由で行動する事も無い。