せめて僕の納得出来る方法で

CDを5枚買った。
2枚は弦楽で残りは全て女性ボーカルのもの。その内の一枚、「YUKARI Rotten」を買った日に何気なく1曲目を試聴して曲を気に入って買った「speena」というバンド。試聴した理由がジャケットと曲名(僕が買ったCDの曲名は「月に鳴く」)が気になったから。2曲入りのシングル。僕は1曲目しか試聴しなかったので買ってから分かったのだけれど2曲目は1曲目と全然違う。違い過ぎる。気に入らないわけではなく、ありがちかもしれないけれど寧ろ気に入った方。けれど違い過ぎる。知人に聞かせたところ椎名林檎に似てるとの事。似ているかもしれない。冒頭の歌詞に妙な情感が在って良い。情感の表現は男性よりも女性に軍配が上がると思う。
それ以降の歌詞は僕の耳には痛いものばかりが続いた。理解が出来ない事はないけれど納得が出来ないと表現すべきか、理解が出来ない事はないけれど理解する気が無いというべきか。単に流儀と方法の違いという可能性も在るのだけれど。僕は僕の過去を思い出したくはないし思い出さないようにしているし思い出せない事が多い。忘却している記憶も多いだろうけれど忘却だけでなく閉塞させている記憶も多いのだろう。
自分から逃げている、と言われた過去がないわけではない。けれど逃げる事に問題が在るのだろうか。逃げ続けている事で問題が発生するかもしれないけれど挑み続けていたって問題は発生するかもしれない。否定でも肯定でも前進でも後退でも問題が発生する可能性が在るならば自身の流儀に基づいて自身で選択した方法で行なうのが一番良いと思う。大抵の問題は時間が経てば問題ではなくなるし時間が解決しない問題こそが真に厄介な問題なのだろうけれど、真に厄介な問題に対峙する時くらいは自身の流儀に基づいて自身で選択した方法で行ないたい。それは成否の確率よりも納得の確率を優先したいから。という事で僕には逃げる事自体に問題が在るとは思えない。思えないだけで実際には問題が在るのかもしれないけれど。
昔はそうでもなかったのだが何時しか女性ボーカルの方が男性ボーカルの方よりも買う事が多くなった。知人に話したら「無意識に癒しを求めているのではないかな」という事だったけれど幾ら女性ボーカルだからとはいっても「KILL」や「Fucker」、「Crush」なんて単語が飛び交う唄(「speena」ではなく他の人)では癒されない。僕はそこまで変態をやってはいない。それに僕は癒し系などが好きではないし誰かや何かに癒してもらおうなどと思った事は一度も無い。はず。