何処に居ても捕捉される不自由を選択している

僕の年代の多くの人は所持しているのではないかと思うのだが僕も携帯電話を所持している。
僕は自身から電話をする事もメールをする事も殆んど無い。稀に用事が在って行なう程度。僕には用事も依頼も無く電話やメールなどの連絡をする習慣が無い。習慣と言うか意識と言うか、特に何でもない会話などの為に連絡する事が無い。近況報告などは会った時に行なえば良い、と思っているからだろう。電話してまで伝えたいような近況など僕の生活に存在しない。してほしくも無い。
僕から連絡をしないからか別の理由によるものかは知らないけれど、まめに連絡をくれる知人友人以外の頻繁に連絡をしない知人友人からも定期確認のような連絡が来る。中には「未だ生きているのかな?」などと直截的に生存確認をしてくる人も居る。そんなに僕は死にそうなのか。
僕の知人や友人の中には自宅に固定電話を置かずに携帯電話のみで生活している人も居る。そういう人達が携帯電話を持つのは理解出来なくも無いのだけれど僕は自宅に固定電話が在る。携帯電話を所持しているので滅多に使用しないけれど。
僕が携帯電話を持つ意味が僕の為ではなく僕と連絡をしようと思う人達の為になっているような気がする。公衆電話も減少傾向にあるようだし緊急事態などは持っていて良かったと思うのだけれど頻度が少ないせいか携帯電話の所持に疑問が在る。普段の携帯電話使用法なんてメモくらいなのだし。