人間関係に必要なもの

夜遊びはある程度の体力を所持していないとキツイという事を身をもって確認。僕は年齢相応以下の体力の持ち主でジムでは平均的30代半ばくらいと変わらないと言われた。既に中年並。下手したら中年になっても平気かもという楽観になりそうだ。そんな僕が今起きていられるのはテンションが若干高いからで平常時並に戻ったら倒れんばかりの勢いで眠るだろう状況なのでさくさくと今日の日記。
僕にたまに連絡をしてくる知人が居る。多分一ヶ月に一回くらいの間隔だと思う。僕は僕なりの理由が在り自分からは滅多に連絡をしないのだが、僕の知人や友人も自分からは滅多に連絡をしない人間が多数を占める。だからその中で月一の間隔で連絡をしてくるのは珍しい存在だし僕の感覚では「たまに」ではなく「頻繁に」に分類されるのだが、世間の感覚で「頻繁に」と言うと週2、3になるのではないかと思うので「たまに」と表現。
さて、この知人。僕に連絡してくる時の最初の言葉が決まっていて一年のどの時期でも必ず「生きてる?」から始まる。正月の年賀メールですら「明けましておめでとう」等の言葉よりも先に「生きてる?」だった。もしかして謀り事に陥れようとしているのか、ひょっとして呪詛か何かのなのか。そんな被害妄想はどうでも良いが、しかし毎回毎回「生きてる?」から始まるのは納得が出来ない。仮にもお互い社会人であり大人。人付き合いは最初が肝心。もう少し無難な「元気?」とかの言葉から始める事は不可能ではないはず。無難は悪い事ではないし、普通こそが素晴らしい。と思い知人に伝える。帰ってきた答えは「君が元気と言うわけがない。悔しかったらそう答えるような大人になれ。なれば考えるよ。でも君はそれ以前に生きてるかどうかが分からない。だから訊いてるの」という微妙なもの。前半部分は理解出来る。僕が「元気」と答える事は恐らく無い。それは分かる。しかし後半部分の「生きてるかどうか」というのは理解出来ない。僕はこれでも大抵の人間にはしぶとそうとか誉めてるのか貶しているのか分からない判断される人間なのだけど。意外に僕はあっさり死にそうなのかな。
この知人は短い付き合いではないので僕の意見よりも自分の判断を重視するのは承知している。だからそれ以上は諦めた。人付き合いは諦めが肝心。それに僕にしては珍しく友人になれたらなと思わない事もない愉快な人格の人だから、その程度は我慢。人付き合いは我慢が肝心。