戦闘行為の対価と代償

戦闘行為の目的が勝利でも敗北でも、求めないならば戦闘する必要は無い。勝利や敗北、戦闘自体を求めなければ戦闘行為の意味は無い。
試合に負けて勝負に勝つ。何処の意味が違う。試合と勝負か負けと勝ちか。
試合と勝負の意味の違い。条件付と無条件。競技と競争。誇りと生命。それ等かそれ等以外か。
負けと勝ちの意味の違い。利益と満足。公認と自認。地位と名誉。これ等かこれ等以外か。
知らない。解らない。けれど、興味は在る、のかもしれない。興味、程度に。
知らない事を知らないままに放置する事が可能という事も、知らない事を知るまで追求する事が可能という事も、解らない事を解らないままに放置する事が可能という事も、解らない事を解るまで追求する事が可能という事も。差分も差別も区別も区分も無く、これ以上は無い程度に、それ以下は無い程度に、同一ではなくとも同一線上に在ると思うような僕には、興味の方が重要だったりする。
継続、存続、連続。試合に負けても勝負に勝っても続く。続く。続く。一度勝てばハッピーエンドを迎えられるわけではなく一度負けてもバッドエンドを迎えるわけではない。負けても勝っても続くなら、続く先の布石となるような負け方や勝ち方を。勝ち続ける事は難しく、負け続ける事も難しい。或る分野でだけならば兎も角、試合と勝負のどちらかならば兎も角、あらゆる分野で、試合でも勝負でも、は難しいのだから。
試合。勝負。競う。対象の置き方。目標の据え方。視点の定め方。負けも勝ちも流れの一部。


試合も勝負も戦闘も苦手な僕の言ではない。

優れた指揮官は劣勢でも敗北を回避する

戦士個人は如何に自分の能力を駆使し任務達成を果たすかを考えれば良い。しかし指揮官は個々の戦士の性質と能力を理解し、最大限の能力が発揮出来る心境と状況とを考えなければならない。単純な数だけでも戦士は自分一人の事だけなのに対し指揮官は戦士の人数分の事を考えなければならない。それだけでも時間と労力が数倍必要となる。
けれど。結果というものは事前準備の段階で決定する事が多い。事前準備無しに良い結果になる事は少ない。
心境と状況とを把握し、事前準備を行い、望んだ結果に導く。それこそが指揮官の指揮官としての戦闘であるだろう。そして、だからこそ、と喜べる人間が指揮官に向いているのかもしれない。例えば将棋やチェスを楽しめる種類の人間等は当てはまるかもしれない。
只、現実は将棋やチェス等と違い勝敗が曖昧な事も多く在る。何もかもが綺麗に決着するわけではない。それが好きか嫌いかは個人の嗜好に因るだけだろうけれど。


そして、指揮官と参謀が別なら完璧に無意味な話。

本音を言える間柄でも本音を言えば良いわけではない

「可愛らしい服だね」
「そうかな?ありがとう」
「礼を言われる事ではないよ。思うがままの発言で特に誉めたわけではないからね」
「それでもさ。それでも僕は嬉しかったから礼を言ったんだよ。君が思うがままに発言したと言うならば僕も思うがままに発言しただけだからね」
「では続きを聞いても同じ事を言うのかな?」
「どうかな?というか続きが在ったのかい?」
「在ったよ。無い方が良いのかもしれないけれど、しかし僕の心情を正確に表すのならば続くべきだった言葉が在った。その前に君が発言してしまったけれど」
「それは済まなかった。で?」
「で?とは?」
「続きは?」
「続けても良いのかな。聞かない方が良いかもしれないよ?」
「この状況で聞かない方が余程に良くないよ」
「そう。では続けるけれどね、君は可愛くない。全く可愛くないなのに服が浮いておらず馴染んでいる。不思議で仕方ない。どういうカラクリなのかな?」
「それは絶対に誉めていないだろう?」
「だから、特に誉めたわけではないと言ったよね」
「そうなんだけどさ。そうなんだけど礼を言ったのが無駄だった気がしてきた」
「それは僕には分からない。それよりも理解不可能な不思議の解答が欲しいな」
「僕が可愛くなくて服が可愛らしいからバランスがとれているのだろうよ」
「そのようなものなのかな?何か違うような気がするのだけれど気のせいなのかな」
「気のせいだよ」


誉める事も誉められる事も無く。

優れた戦士が優れた指揮官ではない

物事には適材適所というものが在る。野球が上手だからといって優れた監督になるわけではないし、走る事が速いからといって優れた指導者になるわけでもない。同様に、野球が下手だからといって劣った監督になるわけでもないし、走る事が遅いからといって劣った指導者になるわけでもない。其々が其々に向き不向きというものが在る。
自分の好みと向きが一致すれば、それは優れた結果を残す事だろう。恵まれているとも言える。恰も相思相愛の如く。それで本人が幸福かどうかは別にして。
自分の好みと向きが一致しない。それでは優れた結果を残す事は不可能ではないにしても難しいだろう。恵まれていないとも言える。恰も叶わぬ恋慕の如く。それで本人が不幸かどうかは別にして。
けれど、好みと向きが一致しない場合。その場合、本人が幸福か不幸かは別にして、周囲の人間にとって迷惑となる事が多い。周囲の人間にとって不幸となる事が多い。


幸福の追求。それはゼロサムゲームのようなものなのかもしれない。

愚かな指揮官は優勢ですら敗北する

話し合わない会議程に無駄な会議は無い。報告だけならばメールでも書類でも配布すれば済む。わざわざ大勢の人間が時間と労力と金を掛けて同じ場所に集合する為のエネルギー(もしくはコスト)の事を何も考えていないからこそ、無駄を無駄とも思えず無駄にする。馬鹿が馬鹿で困るのは馬鹿本人ではなく馬鹿の周囲。視野が狭いのか思考が浅いのか目的が薄いのか。そんな事は僕の知った事ではないし知りたくもない。只、迷惑を掛けられる事は避けたい。


馬鹿と鋏は遣い様。けれど、どちらも諸刃の剣。

食べる風物詩

初めて水饅頭という生菓子を食べた。ゼリーと餅の合の子みたいな食感だった。恐らく、これは食感と見た目を楽しむ菓子なのだろう。夏の季節を涼やかに演出するような。味は羊羹そのままで特に不思議でもなかった。


美味しかったので5個程、食べた。

名付け親

(財)全国危険物安全協会認定なる車を見た。それ自体は何も不思議な事は無い。
僕が気になった事は『全国危険物安全協会』。危険なのか安全なのか分からない。『危険物安全取り扱い』や『危険物安全処理』、『危険物安全対策』ならば理解出来る。けれど『危険物安全』。意味が分からない。協会の活動が想像出来ない。もう少し活動内容が想像し易い名称を付けるべきではなかろうか。


自身と全然関係無い事に思考と時間を割く程度には余裕が在るようだ。